知的生産の技術

古来、言語使用は人間の特権とされていたのだけど、近年目覚ましい進歩を遂げた霊長類学の最新の成果によれば、チンパンジーも人語を教えれば使えるようになる。

単語を覚えるだけでなく語を組み合わせて文を正しく作ることも、人間が作った命令文を理解してそれに従って行動することも、出来るのである。

では、何が人間をチンパンジーとは別種の霊長類として特徴付けているのか、何が人間を人間たらしめているのか、改めて、考えてみよう。

文は、主語とそれについて述べる述語とからなる。

たとえば、「バラは美しい」という文において、主述を逆転させて「美しいバラ」というふうに、文として展開された表現を語レベルに圧縮すれば、それについて述べる述語の欄が空くから「美しいバラはトゲがある」というふうに空欄が自動的に埋まる、ということを、繰り返すことによって、バラという語の意味内容を深化発展させてゆく思考ができるのだけど、このような、主述を逆転させる頭の回転こそ、人間には出来てチンパンジーには出来ない概念操作なのだ。

或いは、「この図形は三つの角がある」という判断の主述を逆転させて「三つの角があるこの図形」を「三角形」という概念として定義して、これについてさらに「この三角形は二つの辺が等しい」という判断を成立させるとすれば、またしても述語を主語に繰り込んで「二つの辺が等しいこの三角形」を「二等辺三角形」という概念として定義できる。

このように、多くの記号を組み合わせて作った思考を一つの記号で置き換えるということの積み重ねによって重層的階層として言語体系という記号体系が作られている、ということは、国語辞書を調べ出せば、言葉の定義に使われている言葉の定義も言葉を使ってなされている、というふうに、際限がない、ということから、分かる。

体系というのは、多くの要素が関連し合って一つの全体として機能するシステムのことで、もっと簡単に言い換えれば、多くのものがなす一まとまりのことである。

そして、一まとまりを一要素とするさらに高次の全体を築き上げる、というふうに、思考の体系をどんどん積み上げてゆく、ステップアップのために、不可欠な、頭脳の機能は、主述を反転させて判断を思考の最小単位である概念に戻すコンパクト化なのだけど、チンパンジーに出来なくて人間に出来ることは、体系立てて考えることを可能ならしめる主述の反転なのだ。

つまり、チンパンジーは記号を組み合わせることは出来てもその配列を組み替えることまでは出来ない。

多くの記号の組み合わせの配列を組み替えることが出来ないことによってそれらを一まとまりとして統一することが出来ないチンパンジーと同じように、統合がうまくおこなわれていない人間のことを、統合失調症患者と言うのだけど、考えがまとまらないという思考障害を基本障害とする統合失調症においては、記号によって置き換えられたものを随時に念頭に呼び戻せるように頭の片隅に置いておこうとして念頭から斥ければそれを忘却の彼方に追いやってしまう、というふうに、体系を無意味記号の単なる羅列に堕させてしまう、心の平板化が、主症状となる。

統合失調症患者である僕は、ワープロ専用機が普及し出した二十世紀末から、画面上に打ち出した文の前後を入れ替える挿入機能のお陰で、思考が飛躍的に進展し出したのだけど、紙面上や口頭や念頭で考えをまとめることが出来ない僕の思考障害のリハビリのために、パソコンのワープロ機能は、二十一世紀の今に至るまで、必須である。

足腰の弱い老人が歩行補助として杖を必要とするように、頭の弱い僕は思考補助としてワープロを必要とする。

書き出すことによって初めて世界像が残像として残ってゆく僕は、今までに見ていた世界の局面と違う局面を目の当たりにしても、ショックを受けて今までの世界認識を覆してしまうのでなく、一面的だった現実認識をどんどん多面的なものにしてゆけるように、書き続けている。

書くことを辞めた時点から統合失調症の認知機能障害と陰性症状が本格化する僕にとっての余儀なくされた課題は頭を活性化させ続けるために書き続けることだ。

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