サハラへ

23年前の春4月に銀座の裏通りに会社を立ち上げ、法手続きやPC類などの購入を済ませると私は、一緒に設立に加わった部下に「お前はこのまま仕事してろ。オレはこれからちょっとサハラ砂漠に行ってくるから」と言い残し、出立してしまった。

われながら乱暴な話ではあった。

その数日後、私は5月のパリにいた。

5月初夏のパリは、秋10月と並んで、この街がもっとも美しい季節だ。

だがパリについては、また改めて書く。

その時私がパリに向かったのは、日本からアルジェリアに向かう経由地として、パリが何かと便利がいいだろうと考えたからだ。具体的には、ナショナル・キャリア・フラッグのアルジェリア航空のオフィスがあり、そこからの便数が多いだろうと思ったのだ。

なぜアルジェリアかというと、地図を拡げてみて、サハラ砂漠はアフリカ北部から中央部の広大な地域を占めていること、またアルジェリアがその北の結構な面積を占めていることが分かったからだ。

アルジェリア航空のオフィスを探し当て、訪ねてみると、その日からもっとも早いフライトはその3日後だった。

それまで私は美しい季節の美しい街を、ぶらぶら毎日歩き回って過ごした。

その数日後、私は、サハラ砂漠の真っ只中の、アルジェリアのターギットという小さな町にいた。パリからアルジェへは飛行機、アルジェからオランというアルジェリア最大の貿易都市(ここはアルベール・カミュの生誕地だ)までは国内便。そしてそこから私の目的地のオアシス都市のターギットまでの手段が問題だった。

何もないのである。

仕方ないので私は、外国人と見て近寄ってくるそこらの男たちに、ターギットという名詞を連呼し、手真似(英語など全く通じない)でそこへ車で連れてってくれという手話と、30ドルくらいの代金(ドルという単語と単位は、途上国なら世界中どこでも通じる)を示して交渉してみた。話は案外簡単にまとまった。30ドルは破格過ぎたのかも知れない。

それから3、4時間かそれ以上、ターギットに向けサハラを、2人で走った。

私は黙々と運転している(言葉が通じないのだから当たり前だ)ヒゲだらけの獰猛な顔をした30歳くらいの男を時々チラチラ眺め、この男が突然車を止めて私に殴り掛かり、財布を強奪して私だけを置き去りにして逃げたらどうしようと、それまで海外で考えたこともないことを考え、ちょっと不安になった。

だが日本に帰ってからそのことを話したら、ある年少の知人は、陽虎さん、それは陽虎さんの風貌を見て相手も全く同じことを感じ、不安だったと思いますよ、と言ったものだ。

走ること、およそ3時間。

前方に、出発して以来初めての樹木の風景が見えてきた。

サハラど真ん中のオアシスの町・ターギットである。

この何もない辺境の町で、私はその日から5日間を過ごした。

何しろ世界の果てにあるような、辺境の町だ。

この町のホテルにはバーなどはなく、勿論ほかに酒場などもなく、ドライマティー二などは飲めない。

酒といえば生ぬるいビールがあるだけである。そのビールも、輸送や倉庫在庫が少ないらしく、すぐなくなった。一日に2本ほど頼むと、後はもうないと首を振られるのだ。

仕方なく、私は毎日やたらにホテルの食堂でコーヒーを飲んだが、このコーヒーの味がビックリするほど美味しいものだったのだ。後で調べてみると、アルジェリアはコーヒー豆の産出では有数の国であることが分かった。

この町で出来ることといえば景色を眺めることだけで、眺められるものといえば、小さい町を四方から取り囲む砂漠だけである。

町にすぐ隣接して、サハラ全体でも有数の、エルグ大砂丘がある。

砂漠といっても地域により構成する土壌は異なるらしく、車を飛ばして来たオランからこのターギットまでは砂ではなく、岩を砕いたような赤茶けた荒地だった。

そしてこのターギットから先は、今度は見事に砂丘だけになるのだ(その時そこから持ち帰ったサハラの砂は、いつも私のデスクの上に小さな瓶に入れておいてある)。

オアシスとこの町がある場所が、その境界になっているようだった。

私は毎日町外れの3階建ての廃倉庫のような建物まで行ってその一番上に上がり、そこからの景色を眺めた。

地球最大の砂漠、サハラ。

地平線まで延びる、見渡す限りの数限りない砂丘の連なり。

それが、そこからの光景の全てだった。

現実にそれを眼前に見ていても、それは何か現実離れした、幻の光景のように思えた。

私は毎日ただ、その茫漠と拡がる砂丘群だけを眺め続けたのである。

それはそれ以降の私に、何を与えたのだろう。

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